nothingvision

そもそもはない、それでいいじゃない。

今日も空く響くだけの鳴き声よ。

前回、「にゃーと鳴けば、なんとかなる」というタイトルをつけたけれど、

実際のところ、「にゃー」と鳴いてなんとかなるのは、

あの猫さまのかわいい鳴き声と神レベルのあのフォルムあってこそ、

ご飯がもらえたりもふもふして愛でてもらえるわけで。

40を過ぎたおっさんが「にゃー」と鳴いてみたとて、

現実は何ひとつ変わらず、1㎜だって良いことは起こらぬのだ。

わかっちゃぁいたけども、その現実を受け入れるのは辛くて悲しいなあ。

 

最近ニュースで、僕らアラフォー世代の人たちが実にくだらん理由で、

人の命を殺めたり短絡的な犯罪を犯してるのをよく目にする。

この年齢でやるせない毎日を繰り返すひとりとしてその気持ちはわからんでもない。

だけど、それが人に迷惑をかけてよいということには決して繋がらない。

自分ではどうにもならない環境で育ってきたとかそういった理由もあるかもしれない。

そうだとしても、人の命を奪ったり、小さな子供や動物を虐待したりして、

己の鬱憤を晴らしてはいけない。

どうやったって無理って時は、自ら自分の命を誰にも迷惑をかけずに殺めるしかない。

それだって自分の親がいなくなった後じゃなきゃ駄目だし、場所も選ばなきゃいけない。 

幸せそうな人たちを見ると、苦しくなったり空くなったりするけど、

幸せそうに見える人だって無条件に幸せなわけじゃない。

誰だって何かしら抱えてるもんだ。

だから、そういう人たちを攻撃することは間違っている。

敵はいつだって己の中にいて、その己の中の醜いモンスターと戦わなけりゃいけない。

 

戦い続けては幾度も幾度も負け続けて、

そのたびに「にゃー」と鳴いてみるも報われず、そんな日々を今日も生きてます。

 

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